DROUOT MONTAIGNE (15, avenue Nontaigne 75008 Paris)にて、6月29日、30日と二日間の展示会が開催されました、250点以上の作品が一堂にと言っても、額装されてない絵やデッサン、版画は別にカルトン入れて、その中から好きな版画を取り出してみれる様に大きなテーブルが会場の中心に用意されて居ます。展示作品が180点近く、又、Paris Edition Del Arco デアルコ版画出版社より60点の作品も寄贈され、素晴らしい展示会、パリに滞在の方は是非、足を運んで下さい。木下アキラ&スミ子夫妻から丁度電話が入り、来てみたらと誘いましたが、行きたいけど、その日は丁度スペインから日本に帰る日なので今回はパリに立ち寄れないのでごめんなさい!と、昨日の展示応援の疲れは多少、今日は10時開場に、キャプション付けを終了して11時、丁度に、オープン出来ました。
2011年6月30日木曜日
2011年6月29日水曜日
一刀斎からのメールです。
佐藤さんへ
いよいよですね。成功されることを祈っています。遠くから応援しています。(書き溜めていたものです)
オークションの準備も進んでいるようですね。ブログを読んで応援しています。一枝もどこかで応援しているはずですね。
世界中で援助の手を差し伸べているのに、日本国内の混乱ぶりはひどいものです。外村さんのメールは現状をよく表しています。海外からも最近情報が無いけれど・・・というメールが届きますが、国内でも同じ状況です。日赤に集まっているはずの義捐金はどうなっているのか、他の義捐金は?被災者に行き渡っていなそうですね。表面だけで判断する公務員のやり方(一律にしなければならないことはわかりますが)は、報道されている以上にひどいものかもしれません。直接届けることが流行っていますが、それが無いところはどうしているの?と気になることばかりです。何から始めたらよいのか分からない状態でしょうが、民間活力や被災者活力と利用できるものを表面に出してほしいものです。
白松社長の申し出でが断られた・・・腹立たしさを感じます。誰が主体なのか・・・現在は避難者ですね。
仮設住宅問題も紛失しているようです。地元の木で作った仮設住宅は好評だそうですね。地元活力は仮設住宅に関してはほとんど利用されていません。大手業者が請け負うことが多い。それでは自助努力によある被災地の自立がいつまでたっても進みません。
国会が一番ひどいですね。節電をうたっていても自分たちは・・・。延長国会では経費もばかになりません。大臣の影が見えません。マスコミも中途半端な報道のようです。いろいろと工夫はしているようですが。そして、外村さんの件に移ると、福島原発の情報がほとんどありません。放射線量の測定値や測定方法がばらばらで各地で混乱しています。危険地域が広がっていると判断することは正しいと思います。
プールに入れないので室内温水プールへ→費用負担増。校庭で遊べない。海水浴場も現地では問題ないと言っていますが、これも暫定値に振り回されています。
一時帰宅も、今度は防護服は必要ない・・・あれだけ大騒ぎしていたのに・・・。検出されても洗濯機で洗えば落ちる。排水にも出ない・・・???ですね。冷却水が漏れて高濃度の放射線が出ている・・・。何を信用すればよいのでしょうか。東京でも節電のためエアコンを控え窓を開けています。窓は開けないように・・・。それよりも生活のほうが大切です。また、節電対策も強制と黄な感じがします。これだけ協力しているのに・・・。それでいて国産ロボットをやっと使い始めたり、外国企業のシステムがうまく行かない。数百億円で防護壁を作る・・・反対され取り止め。費用が掛かる→電力費値上げ・・・国民はどこまで我慢すればよいのでしょうか。確かに五里霧中の中で、いろいろとやっていたことによる効果が
見られるのはわかりますが、本当に心配です。偏西風で世界中に飛散している・・・共同の記者会見も見ることが無くなりました。誰がどうしているのか・・・。何がどうなっているのか・・・。疑問や不安だらけです。
管制の先輩が、先週宮城県に2泊3日(旅館。バスそれぞれ1泊)のバス利用のボランティアで行きました。登米市にボランティアのNPO拠点があるそうです。
本人からのメールは訴えるものがあるのでご紹介します。旅行代金だけで2万円前後の費用が掛かります。
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さて、先日2泊3日の被災地へボランティアに行って参りました。鳴子温泉地の幸雲閣に泊まり、登米市にNPOの拠点があり、立ち寄り南三陸から寄木を経由、歌津海岸がその場所でした。どこも初めての土地で、前のことが分かりませんでしたが、南三陸の海岸一帯を観た時、それは、表現しようがなく光景、瓦礫の山々でした。その中にもしかしたら遺体があるのではないでしょうか。それを考えると観るに堪えません。
この大きな被災地からようやく目的地の歌津海岸に到着しました。小さな漁村ですが、辺り一帯すべて全滅でした。2年前に新築された家も跡形もなく、いま青いシールのテントをかぶせて、寂しく生活されている様子を窺いしることができました。被害が大きい所は、自衛隊等の公の機関が支援されておりますが、歌津海岸は比較的範囲がせまいので、その対象にはなっていないため、NPOが支援を行っているとのことでした。
今回の参加者は、全員で39名。60歳以上は、小生を含め3人。後は若い男性3名のほかは30~50歳までの独身女性と既婚の女性でした。一番の高齢者は72歳、元アルペンスキーの選手で国体にも何回も出場したと言っておられました。この方は怪物です。とにかく身が軽く山を駆け上がり一番元気がよかったです。係りの方が、「お歳ですので、無理しないでください」と注意を受けていましたが、しかし、全く若い男性よづっと元気でした。
NPOの担当者から「瓦礫はごみに見えますが、これは被災者の大切な所持品や宝物ですから大事に扱ってください。無理をせずに楽しくやりましょう」の合図で、山の木々にひかかった子供のおもちゃや衣服、魚網や綱等を下し埋もれた品々を掘り起こす体力の仕事でした。しかし、1日だけの仕事ですから皆元気よく仕事をすることができました。一方、NPOの若い職員は、もう3か月も働いているせいか、顔は真っ黒に髭ぼうぼう、若い女性は青白く痩せて疲れているようで気の毒でした。
今回は3日間で、いろいろな方々と知り合いになり、同室だった60代以上の3名意気投合、次は10月にまた行こうと約束して分かれました。女性の方々も同期会をやると意気込んでおりました。仕事が終わった時に被災者の方々が、涙ながらに感謝を述べてくださったです。その感謝して下さるしぐさを観て、皆も心を打たれたことも、我々の仕事は小さな仕事でしたが、必要とされていることを直に感じることができた1日でした。
鳴子温泉もこのところ風評被害のせいか、客が2割程度になり、心配された時節、我々の訪問を喜んでくださり、また、特別な歓待で表現されており「私たちは元気に頑張っています。これからも是非遊びにしてください」と挨拶されている姿を忘れることができません。
テレビや新聞で東北地方の被災地を視ることがありましたが、やはり”百聞は一見にしかず」”です。行ってよかったですね。被害とそこに住んでる被災地の方々とも会うことができました。ほんの僅かな助けですが、人と人との出会いがとても大切なものであることを意識せざるを得なく、得ることが多い3日間でした。
早く、復旧・復興が早まればいいですね。東北の方々は忍耐強いから、弱音を吐かないですよね。九州男児の私とは全く正反対です。東北の方々が逞しく見えます。
この大きな被災地からようやく目的地の歌津海岸に到着しました。小さな漁村ですが、辺り一帯すべて全滅でした。2年前に新築された家も跡形もなく、いま青いシールのテントをかぶせて、寂しく生活されている様子を窺いしることができました。被害が大きい所は、自衛隊等の公の機関が支援されておりますが、歌津海岸は比較的範囲がせまいので、その対象にはなっていないため、NPOが支援を行っているとのことでした。
今回の参加者は、全員で39名。60歳以上は、小生を含め3人。後は若い男性3名のほかは30~50歳までの独身女性と既婚の女性でした。一番の高齢者は72歳、元アルペンスキーの選手で国体にも何回も出場したと言っておられました。この方は怪物です。とにかく身が軽く山を駆け上がり一番元気がよかったです。係りの方が、「お歳ですので、無理しないでください」と注意を受けていましたが、しかし、全く若い男性よづっと元気でした。
NPOの担当者から「瓦礫はごみに見えますが、これは被災者の大切な所持品や宝物ですから大事に扱ってください。無理をせずに楽しくやりましょう」の合図で、山の木々にひかかった子供のおもちゃや衣服、魚網や綱等を下し埋もれた品々を掘り起こす体力の仕事でした。しかし、1日だけの仕事ですから皆元気よく仕事をすることができました。一方、NPOの若い職員は、もう3か月も働いているせいか、顔は真っ黒に髭ぼうぼう、若い女性は青白く痩せて疲れているようで気の毒でした。
今回は3日間で、いろいろな方々と知り合いになり、同室だった60代以上の3名意気投合、次は10月にまた行こうと約束して分かれました。女性の方々も同期会をやると意気込んでおりました。仕事が終わった時に被災者の方々が、涙ながらに感謝を述べてくださったです。その感謝して下さるしぐさを観て、皆も心を打たれたことも、我々の仕事は小さな仕事でしたが、必要とされていることを直に感じることができた1日でした。
鳴子温泉もこのところ風評被害のせいか、客が2割程度になり、心配された時節、我々の訪問を喜んでくださり、また、特別な歓待で表現されており「私たちは元気に頑張っています。これからも是非遊びにしてください」と挨拶されている姿を忘れることができません。
テレビや新聞で東北地方の被災地を視ることがありましたが、やはり”百聞は一見にしかず」”です。行ってよかったですね。被害とそこに住んでる被災地の方々とも会うことができました。ほんの僅かな助けですが、人と人との出会いがとても大切なものであることを意識せざるを得なく、得ることが多い3日間でした。
早く、復旧・復興が早まればいいですね。東北の方々は忍耐強いから、弱音を吐かないですよね。九州男児の私とは全く正反対です。東北の方々が逞しく見えます。
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被災地の気温も30度を超えるようになりました。臭いがすごいそうです。その中で行方不明者の捜索が続けられている。本当に頭が下がります。自衛隊や警察、消防関係者にPTSDも出ているようです。東京に入る私たちにも、地元の報道を見ると涙が出てきます。
日本人特有の症状が<節電>にも出てきました。電車も昼間は自粛の特別ダイヤ。車内は蛍光灯の数が半減か全部消灯。駅やビル構内も薄暗い・・・少しは改善された来ましたが、薄暗さで犯罪も起きたようです。放射性物質対策で窓を開けるな・・・エアコンは控え目に・・・<節電熱中症に注意>というニュースタイトルまで・・・。マスク使用者の数は減っています。関西の数値が高くなっていることも気になりますが。相変わらずはっきりしない原発問題です。どこまでひどいのか・・・現在進行形が欲しいものです。素人でもかなりの状態まで言っていると感じている人は多いと思います。
節電に関しては脅迫じみた要求と取られても仕方がないと思います。一般国民として。以前ある事務所で、節電のためエアコンを止め、窓を開けて大き目の扇風機を数台置き、更に個人用に1,2台ずつあるのを見たことがあります。事務能力は見た目でも低下しています。さて、これだけの数の扇風機の電力消費量は・・・?いたちごっこですね。広い建物の中でその事務所付近の一部の部屋のエアコンだけが止められ、他はコンピューターや機械対策でフル稼働していました。数年前のフランスのような状況の再現は止めたいものです。そのためのエアコンですね。気温は30度以上が続き、蒸し暑いです。やはりエアコンが必要です。
一刀斎
2011年6月26日日曜日
パリの公園で運動会!
パリ15区に在るSquare Saint-Lambert 公園でパリ日本人保育園幼稚園主催の運動会が6月26日、10時より開催されていました。天候は初夏と言うより暑い太陽の下で子供達が元気に運動会を楽しんでいました。
チュウリップ組みの仲間達、 |
家族の方々も熱心にカメラマンになっていました、 |
応援団席は満員 |
つくし組み最長年者クラス(5、6歳)の子供達男女の運動会の開会宣言、そして、青空劇場の舞台に” がんばれ にっぽん ” と書かれた 垂れ幕が降ろされ、園長さんが東日本大震災で亡く成られた方々に対して運動会に参加した方々全員で一緒に祈りまししょうと、黙祷を捧げられました。
ちゅうりっぷ組(1、2歳)、すみれ組(3歳)、ゆり組(4歳)と言うクラス別をそれぞれ半分づつ赤組白組に別けて競争、お母さんやお父さんの参加も在り、中には赤ちゃん背負ってお子さんと一緒にリレーに参加したり、子供達以上にお父さんやお母さん達も元気一杯でした。怪我の事故も無く、先生方の進行運営も良く、元気で優しいお姉さんと言う感じで園児と接触している先生方を見て、この運動会の空間はより文化的日本、奇麗な日本語で、ここは日本なのかと錯覚する程の微笑ましい雰囲気、緒論、日本人保育園幼稚園に在籍する子供達は日本人だけでなく、フランス人の親も居て、やはりここはパリかと楽しい一時を取材出来ました、昼食は皆さん手作りの弁当を持って来て楽しい食事、ランチのメニューはフランス式と日本式と両国合作と言った感じです、私が小さい頃、田舎で運動会が在ると母親がいろんな種類のおかずを作って持って来て、皆でゴザの上に座って食べた事を思い出しました、フランスの幼稚園ではあり得ない日本の文化がパリで発見されたと感激しました。パン食い競走に参加したお父さんが、あんぱんが本物だったよ、美味しかったね、本物のあんぱんに感動!良く言われる生活文化の違いはここではなかったと言うよりお互い違いを認め合う、共存・共栄する精神を感じました。この運動会で感じた事、親が積極的に参加して居ました、そして園長さんはじめスタッフの努力に感心いたしました、元気で無邪気な明るい子供達が20年後にどんな力を与えてくれるのか楽しみで〜す。
►連帯・登米◀ Solodarité Tomé の案内状
6月29日、11時から18時迄、又、30日の11時から16時半迄、180名の作家、250点の作品が Paris の Drouot Montaigne の会場で展示されます、場所はシャンゼリゼ大通りに近い Montaigne 通り15番地、是非、作品を観に来て下さ〜い、6月30日の19時半から始まるチャリテイー・オークションの様子は後日、写真で報告掲載致します、
昨日、フランス・ラジオ局の番組で、今回の6月30日に開催される ソリダリテ・登米の開催計画が紹介され、東日本大震災(地震と津波)と原発事故、画家達の連帯と芸術家を支える方々の連帯で、日本の被害地の仲間とアートをとおした交流、心のふれあいを、みんな一緒に立ち上がろうと、復活を願うニュースが紹介されました、今日は Xuriguera を中心に仲間達と昼食後、画廊街マザリン通りのカフェに入り、葉巻を吹かしながらおしゃべりして居た途中、知り合いのコレクター仲間が4、5人隣りのテーブルに座り、ラジオで紹介されて居た事が話題に成りました。
作家のご好意により、作品が集まり、報道関係も着々と対応して下さり、後は、コレクターの皆様、アートに興味の在る方、地震、津波災害の被害者に応援する、日本に興味の在る方々に、作家の好意を大切にコレクションして下さる方々に案内状を届ける様に、メールと同時に郵送で知らせています。
昨日、フランス・ラジオ局の番組で、今回の6月30日に開催される ソリダリテ・登米の開催計画が紹介され、東日本大震災(地震と津波)と原発事故、画家達の連帯と芸術家を支える方々の連帯で、日本の被害地の仲間とアートをとおした交流、心のふれあいを、みんな一緒に立ち上がろうと、復活を願うニュースが紹介されました、今日は Xuriguera を中心に仲間達と昼食後、画廊街マザリン通りのカフェに入り、葉巻を吹かしながらおしゃべりして居た途中、知り合いのコレクター仲間が4、5人隣りのテーブルに座り、ラジオで紹介されて居た事が話題に成りました。
作家のご好意により、作品が集まり、報道関係も着々と対応して下さり、後は、コレクターの皆様、アートに興味の在る方、地震、津波災害の被害者に応援する、日本に興味の在る方々に、作家の好意を大切にコレクションして下さる方々に案内状を届ける様に、メールと同時に郵送で知らせています。
2011年6月25日土曜日
外村さんからのメール
「福島原発事故に関する政府発表を改めて検証する」のご案内(情報提供)
おはようございます。
下記記事は、「ビジネス情報研究会・日本ビジネスインテリジェンス協会」仲間の「真形 久視」さんの「福島原発
事故に関する政府発表を改めて検証する」について記述されたものです。
「福島原発事故に関する政府発表を改めて検証する」政府(東電)は3・11事故以来、その時々の事象を最初は
小さく、かつ楽観的に発表して来ました。そして時日が経つにつれ、徐々に数字は大きく、そして事態は深刻度を
増して行きました。
6月17日は政府・東電対策本部が「工程表」の第2回見直しを発表した日でした。4月17日発表から丁度2ヵ月
が経っています。ステップ1は7月中旬がメドで後一月です。ステップ2は来年1月メドで、この2つともの目標の
変更は一切なしです。
最初に書いた如く、政府・東電発表は今迄常に時間の経過と共に事態は悪くなっています。工程表の項目についても
設定当初より2ヵ月経って悪くなっているのに、目標達成内容及び時期が変更になっていないのは信じられますかね?
以下政府発表の主な事柄について、「工程表」も念頭に置いて記憶を辿りながらざっと眺めてみましょう。
1 原子炉・建屋の問題
・3月12日、1号機建屋水素爆発、14日、3号機建屋水素爆発:この時、政府は「原子炉(圧力容器・格納
容器)は全然壊れていない。だから何の心配もいらない。注水さえ完全にできれば原子炉は冷温停止状態で
安定する」と言いました。
・最近では、メルトダウン(圧力容器の底に、燃料棒が溶けて溜まっている)の事実を認め、今やメルトスルー
(圧力 容器の底を突きぬけて、格納容器の底に溜まっているか、更にその底を突きぬけて、建屋の基盤を構成
している分厚いコンクリートに迄達している状態)の事実も認めています。
・工程表の内容は果たしてメルトスルーの状態を想定してやったものかどうか、疑わしい(4月の時点ではこの
事実は判 明してなかったのであるから、想定してないが公式見解の筈だが、東電は実は承知していたから
実際には想定していたと言うかも知れない)。
2 避難地域の問題
・政府は最初「念のために避難してくれ」と言いました。そして最初は3KM圏内の人間だけでした。次に10K
圏内、そして更に20K圏、と強制的に避難が促進され、更には内館村のように「計画的避難区域」の名のも
とに北は40K圏に 迄及ぶことになったのです。
・政府のやり方は「初めは処女の如く後は脱兎の如し」ではありませんか?
3 汚染水の問題
・最初は2号機のトレンチに汚染水が溜まっているのが発見された。濃度を測ってみると1000ミリ・シーベ
トの高濃度であった。量としては1万トン位?という話でした。そのうち、1号機にも3号機にもある、
計3万トン位となりました。
・やがて、タービン建屋の地下にも発見されたとなりました。結局全体で5〜6万トンはあるだろう。これを何
とか移送せねばならぬ、と移転先のタンクを手当する騒ぎとなりました。
・そして今や1日500トンは注入しているので、毎日溜まり続け、現在11万トンあるそうです。今月下旬に
はどこにも移す先がないので、海にでも溢れて流れ出ようかという勢いです。
・汚染水の浄化システムは試運転後、6月17日実施したら米製セシウム吸着装置が5時間で稼働停止、只今再
度故障個所修理テスト中、更に21日仏アレバ社の放射性沈殿装置も一時停止しました。本番再開のメドは今
の所、立たず、という状態です。ですけど東電は未だに「工程表」は守ると言っています。
4 国際原子力事象評価尺度(所謂INESレベル)の問題
・3月18日、原子力安全・保安院はINESを「レベル5」に引き上げました。(それまではレベル4評価)
・4月12日、保安院西山審議官は「福島原発事故を“レベル7”と暫定評価する。根拠は3月15日から数日
にわたって、高水準の放射性物質の放出が続いたため」と発表しました。「フクシマ」はチェルノブイリと
同じ重大事故の代名詞となったのです。
・しかし、これも遅きに失した嫌いがあります。1カ月前のデータによる突然の「レベル7」宣言です。安全
委員会は早くから把握していたフシがあるし、保安院も把握していたが、保安委員長and/or政府が発表を遅
らしたのでしょう。ここにも情報を小出しにする政府の意図がすけて見えます。
5 放射線量拡散の問題
・事故発生当初は福島県下、第一原発を中心として半径20K圏内と思われていたものが、今や関東全域に広が
りを見せ、茨木、千葉、東京にもホットスポットという放射線量の高い地域が見られるようになりました。
・未だに放射線量は福島原発から少量なりと言えども漏れ続けているわけで、この拡散の範囲は今後とも広が
り続けるでしょう。
・政府が「工程表」でステップ2(安定冷却の維持と汚染水の低減)を達成する来年1月までは、この状態は
変わらないでしょう。
しかも以上の1〜4で見る如く、事態は改善するのでなく、益々悪化しているのです。
にも拘わらず政府(東電)は決して「工程表」を見直そうとしません。
菅総理は福島難民に対しては、「来年の1月に「工程表」にある如く、「冷温停止」の状態のメドがつくの
で、その時に自分の町・村又自宅に戻れるかどうか判断できる、それまでは辛抱していて欲しい」と言い続
けています。だから「工程表」のスケジュールは変更しない。
菅さんとしては今をしのげればいいと思っているのではないでしょうか?
どうせ来年の1月は自分は総理の座にいない、それなら今とにかく避難民に顔を立てられる状態でいた方が
いいと思っている、と私は下司の勘ぐりで思います。
福島原発の対応において、常に問題は最初は小さく表出させ、段々と実態が膨らみ、そして解決策は益々
困難になって行き、解決時期は先延ばしされて行く(今の汚染水処理がその典型です)、これが今日までの
100日間の実績です。上の1から5を見ればお分かりの通りです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
外村 孝史(Tomura Koshi)k_tomura@mtf.biglobe.ne.jp
早稲田大学理工学術院総合研究所(理工研 55s-04-02b)
プロジェクト研究「中小企業連携・支援研究」
連絡先 〒108-0072東京都港区白金二丁目5-12-1102
Tel/Fax 03-3280-5186 携帯090-5207-6098
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おはようございます。
下記記事は、「ビジネス情報研究会・日本ビジネスインテリジェンス協会」仲間の「真形 久視」さんの「福島原発
事故に関する政府発表を改めて検証する」について記述されたものです。
「福島原発事故に関する政府発表を改めて検証する」政府(東電)は3・11事故以来、その時々の事象を最初は
小さく、かつ楽観的に発表して来ました。そして時日が経つにつれ、徐々に数字は大きく、そして事態は深刻度を
増して行きました。
6月17日は政府・東電対策本部が「工程表」の第2回見直しを発表した日でした。4月17日発表から丁度2ヵ月
が経っています。ステップ1は7月中旬がメドで後一月です。ステップ2は来年1月メドで、この2つともの目標の
変更は一切なしです。
最初に書いた如く、政府・東電発表は今迄常に時間の経過と共に事態は悪くなっています。工程表の項目についても
設定当初より2ヵ月経って悪くなっているのに、目標達成内容及び時期が変更になっていないのは信じられますかね?
以下政府発表の主な事柄について、「工程表」も念頭に置いて記憶を辿りながらざっと眺めてみましょう。
1 原子炉・建屋の問題
・3月12日、1号機建屋水素爆発、14日、3号機建屋水素爆発:この時、政府は「原子炉(圧力容器・格納
容器)は全然壊れていない。だから何の心配もいらない。注水さえ完全にできれば原子炉は冷温停止状態で
安定する」と言いました。
・最近では、メルトダウン(圧力容器の底に、燃料棒が溶けて溜まっている)の事実を認め、今やメルトスルー
(圧力 容器の底を突きぬけて、格納容器の底に溜まっているか、更にその底を突きぬけて、建屋の基盤を構成
している分厚いコンクリートに迄達している状態)の事実も認めています。
・工程表の内容は果たしてメルトスルーの状態を想定してやったものかどうか、疑わしい(4月の時点ではこの
事実は判 明してなかったのであるから、想定してないが公式見解の筈だが、東電は実は承知していたから
実際には想定していたと言うかも知れない)。
2 避難地域の問題
・政府は最初「念のために避難してくれ」と言いました。そして最初は3KM圏内の人間だけでした。次に10K
圏内、そして更に20K圏、と強制的に避難が促進され、更には内館村のように「計画的避難区域」の名のも
とに北は40K圏に 迄及ぶことになったのです。
・政府のやり方は「初めは処女の如く後は脱兎の如し」ではありませんか?
3 汚染水の問題
・最初は2号機のトレンチに汚染水が溜まっているのが発見された。濃度を測ってみると1000ミリ・シーベ
トの高濃度であった。量としては1万トン位?という話でした。そのうち、1号機にも3号機にもある、
計3万トン位となりました。
・やがて、タービン建屋の地下にも発見されたとなりました。結局全体で5〜6万トンはあるだろう。これを何
とか移送せねばならぬ、と移転先のタンクを手当する騒ぎとなりました。
・そして今や1日500トンは注入しているので、毎日溜まり続け、現在11万トンあるそうです。今月下旬に
はどこにも移す先がないので、海にでも溢れて流れ出ようかという勢いです。
・汚染水の浄化システムは試運転後、6月17日実施したら米製セシウム吸着装置が5時間で稼働停止、只今再
度故障個所修理テスト中、更に21日仏アレバ社の放射性沈殿装置も一時停止しました。本番再開のメドは今
の所、立たず、という状態です。ですけど東電は未だに「工程表」は守ると言っています。
4 国際原子力事象評価尺度(所謂INESレベル)の問題
・3月18日、原子力安全・保安院はINESを「レベル5」に引き上げました。(それまではレベル4評価)
・4月12日、保安院西山審議官は「福島原発事故を“レベル7”と暫定評価する。根拠は3月15日から数日
にわたって、高水準の放射性物質の放出が続いたため」と発表しました。「フクシマ」はチェルノブイリと
同じ重大事故の代名詞となったのです。
・しかし、これも遅きに失した嫌いがあります。1カ月前のデータによる突然の「レベル7」宣言です。安全
委員会は早くから把握していたフシがあるし、保安院も把握していたが、保安委員長and/or政府が発表を遅
らしたのでしょう。ここにも情報を小出しにする政府の意図がすけて見えます。
5 放射線量拡散の問題
・事故発生当初は福島県下、第一原発を中心として半径20K圏内と思われていたものが、今や関東全域に広が
りを見せ、茨木、千葉、東京にもホットスポットという放射線量の高い地域が見られるようになりました。
・未だに放射線量は福島原発から少量なりと言えども漏れ続けているわけで、この拡散の範囲は今後とも広が
り続けるでしょう。
・政府が「工程表」でステップ2(安定冷却の維持と汚染水の低減)を達成する来年1月までは、この状態は
変わらないでしょう。
しかも以上の1〜4で見る如く、事態は改善するのでなく、益々悪化しているのです。
にも拘わらず政府(東電)は決して「工程表」を見直そうとしません。
菅総理は福島難民に対しては、「来年の1月に「工程表」にある如く、「冷温停止」の状態のメドがつくの
で、その時に自分の町・村又自宅に戻れるかどうか判断できる、それまでは辛抱していて欲しい」と言い続
けています。だから「工程表」のスケジュールは変更しない。
菅さんとしては今をしのげればいいと思っているのではないでしょうか?
どうせ来年の1月は自分は総理の座にいない、それなら今とにかく避難民に顔を立てられる状態でいた方が
いいと思っている、と私は下司の勘ぐりで思います。
福島原発の対応において、常に問題は最初は小さく表出させ、段々と実態が膨らみ、そして解決策は益々
困難になって行き、解決時期は先延ばしされて行く(今の汚染水処理がその典型です)、これが今日までの
100日間の実績です。上の1から5を見ればお分かりの通りです。
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外村 孝史(Tomura Koshi)k_tomura@mtf.biglobe.ne.jp
早稲田大学理工学術院総合研究所(理工研 55s-04-02b)
プロジェクト研究「中小企業連携・支援研究」
連絡先 〒108-0072東京都港区白金二丁目5-12-1102
Tel/Fax 03-3280-5186 携帯090-5207-6098
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2011年6月24日金曜日
Solidarité Tomé ⦗連帯・登米⦘ の作品展示は、
48ページのカタログ表紙です |
6月29日(水曜日)、11時から18時迄、6月30日(木曜日)の11時から16時30分迄の2日間、コレクターや画商さんに作品を見て頂く為の展示会が Drouot Montaigne で開かれ、その後、同じ会場で同日、19時30分より、連帯・登米のオークション(競売)が開始されます。ここでの売上金は全額、義援金として、登米市と宮城県の義援金受け取り口座に直接、送金される事に成っています。カタログ、ポスター、案内状制作、プレス(報道)関係、会場に関するのすべての経費は、Drouot(パリ・オークション)、La Gazette Drouot(オークション専門雑誌)の協力で、運営進行に関しては Chayette & Cheval、Galerie Drouart の応援でこの企画が開催、勿論、 Satoru Sato Art Museum にコレクションされている幾何学構成絵画の作家が中心に、又、美術評論家のGerard Xuriguera 氏の紹介で幾何学構成作家以外の作家達の応援も頂き、パリのみならず、フランス、ドイツ、オランダ、スエーデン、ベルギー、イタリア、スペイン、アメリカ、ヴェネズエラに住む作家達の願い、被害地の皆様と傷みを分かち合い、明日に夢をえがけるアーテイスト連帯の温かい心の協力のもとで開催されます、今回の企画準備、作家達との連絡や作品集荷など智恵と行動を共にして下さった、Mavropoulos, Zapata - Marin, Ameslant にも感謝しています。
連帯・登米の連帯オークションのカタログが完成!
クリックして頂けると、カタログの内容(作家名や作品タイトル、サイズ)をみる事が出来ます。但しフランス語です。
|
2011年6月23日木曜日
宮原 さんからのメール、
SFM研究会の皆様
蒸し暑い日々が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
小生5月16日のSFM研究会での講演の内容骨子を我HP上にやっとのことでUP出来ましたので、お時間がございましたら一読頂ければありがたく存じます。
HP上の<スピーチ>欄をクリック頂きますと、上から3番目がその内容で御座います。
まだまだ梅雨は明けないようですが、福島の方には大雨が降らぬ様祈っております。体調を崩しやすい時期ですのでお体には充分ご注意され、お元気にお過ごしください。
それでは次回(7月1日)のSFM研究会でお会い出来ますればと存じます。
以上
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宮原 一敏
〒113−0024 文京区西片1−2−12
自宅Eメール: miyaha@kazum.net
► SFM研究会とは、日本国内にとらわれず、国際的な視野からみた社会学から政治、経済、企業経営に関した専門家の現状と未来に関したお話を聞ける研究会、そして文化(建築・デザイナー、舞踊、能)と言った幅広い分野の方々も参加している素敵な勉強会、普段、日本に住んで居ない私にとっては、日本の社会、政治、経済、最先端技術研究・製造業の現状を、専門的な皆様のお話を聞けるのは勉強になります、その SFM研究会のメンバーで、文章も書ける、絵を描く、写真も撮る、アイデア豊かな、会話豊かな宮原さんからのメール、彼のブログを紹介させて頂きました◀
2011年6月21日火曜日
塩沢さんからのメール、
今晩は。そろそろ 鬱陶しい梅雨の季節になろうとしていますが、お元気ですか? こちらは皆、元気です。
先日 用事があり被災地へ行ってまいりましたが、物凄い悪臭に驚きました。この地で毎日を暮らしている人達は どんなに辛いだろうと、改めてまだまだ 復興は先のことだと痛感いたしました。
6月も下旬になり佐藤さんの日本到着は・・・? いつごろですか?
バッハのロ短調ミサの発表会もいよいよ来月になり、練習にも熱が入っています。仙台で練習しているメンバーに学院大の教授で、よく、佐藤さんや一枝ちゃんの作品展にいらしてた川嶋先生ご夫妻の奥様がソプラノのパートにいらっしゃいました。
ご主人が亡くなり、暫くは歌う気持ちになれなかったけれど、やっとその気になれたとおっしゃってました。佐藤さんにも、宜しく伝えて下さいとのメッセージです。
今度 お目にかかれる日を楽しみにしております。
◎被災地はまだまだ大変な様子、心が痛みます、今年の日本行きは6月20日、思い出の羽田着と予約を入れていましたが、東日本大地震発生、6月30日、パリ、登米市と宮城県に贈るべき義援金確保の為、連帯・登米のオークション開催と成り、7月9日に変更しました、少しでも多くの義援金が集まる様に願っている所です、以前からの約束、私のブログで既に登場しています 佐藤研一郎さんのコンサートに間に合わなくなり残念に思っていましたが、塩沢さんのコンサートを聴きに行く可能性も厳しい状態、残念で〜す!それにしても、川嶋 順先生が亡くなられたと聞いて吃驚、早速、仙台の川嶋先生宅にお悔やみの電話を、丁度、紀恵子夫人が出られてお話できました、東日本大震災前の2月に亡くなられたと聞いて、その後、地震の被害も在り大変だった様子、お悔やみとお見舞いを兼ね仙台行ったら早めにご挨拶に伺いたいと思います、川嶋順先生は長く東北学院大学の教授を務められ、清水浩三先生の紹介で仙台に行くと良くご一緒させて頂いていました。こちらは、ルーマニアでの野外作品制作の依頼が在り、只、日程が 8、9月にかけた1ヶ月間のルーマニア滞在と言う事で、残念ながら、その時期は日本滞在中、日本の災害地を廻りたいと、お断りした所です。◎
2011年6月18日土曜日
新井さんからのメール、
佐藤さん こんにちは!
ご無沙汰していました。
6月半ばです、今年も夏にはこちらにいらっしゃいますか? さて、私は仕事もあるのに、今ボランティアの日々です。やはりこの震災では色々と思うことがあり、仲間たちに声をかけて SENDAI 青い鳥 PROJECTというのを立ち上げました。http://www.sendaiaoitori.com/ 一度ゆっくりホームページを観てくださいね。
まだ立ち上げて2ヶ月足らずですが、日々人の輪がひろがり、海外からも声が届くようになって、今はフランス、ドイツ、アメリカともやり取りをしています。皆さん心から今回の地震、津波、原発を心配して下さっています。私たちの目的は震災孤児にお金を渡したいということで仲間たちと一緒にイベントやワークショップを重ね、義援金を集めています。佐藤さんがもし、SENDAIにお帰りになるなら是非、アートを通して私たちと手をつないでください。
今月は25日に南三陸にボランティアに行きます。また26日は市内3箇所を使ってチャリティのワークショップを開催し、参加費を義援金に廻します。そして先日は白松の社長さんに25日の南三陸へのボランティアで行くときに被災者のみなさんに甘くて美味しいお菓子を届けたいので・・・とお願いをしたのですが、なんと社長さんは事務所まで300人分の「白松がヨーカン」を届けてくださいました。
佐藤さん、こちらに帰ったら、是非今度は白松さんを囲んで呑みましょうね!
新井◎◉ チルチルミチルの青い鳥は、どこに居るのでしょうか、大空の中に、森の中に、あなたの心の中に居るの でしょうか、青い鳥は帰って来るのでしょうか、見つけて欲しいですね、夢の在る、仙台青い鳥プロジェクト 事務局が友人の新井さんを中心に、既に、行動開始、フットワークと優れたアイデア一杯の才女・ 新井さんに 期待しています。甘党の私にとって、300人分の「白松がヨーカン」、素晴らしい事ですね ◉◎
2011年6月14日火曜日
ロヴェラスと久しぶりの再会。
6月10日は Chatillon の Maison des Arts の展覧会の最終日、金曜日は丁度いつもの会、昼食に St Germain des Prés のイタリアン・レストランで Xuriguera を中心に, Rovelas, Salevor, Takaishi , François , Mavropoulos , Bourmaud.....15名の仲間が集まってレストランの丸いテーブルは12名が限界、他のテーブルにも別れて、2時間近く楽しい食事しながらの会話、その後、葉巻組みとコーヒー組みが、いつものマザリンのカフェに行くのですが、
Rovelas が是非、Satoru の展覧会を観に行きたいと言う事で、仲間と別れて、Mavropoulos の車に私と Rovelas が乗り 、Salevor 夫妻は彼らの車で、2台の車でパリ郊外の Chatillon へ、私の1970年〜2010年迄の自選展を観て頂きました。ロヴェラスは5年前、東京恵比寿に在る日仏文化会館で個展、時を同じくして仙台ネッツトヨタでの日仏現代絵画実展にも参加、東京、京都、仙台に滞在、登米市にも訪問、丁度、上沼八幡山小学校で Satoru Sato Art Museum に寄贈する為の準備作業の時に訪ねて下さいました、空手2段、日本文化を愛するフランス人、フランス海外県、カリブ海に浮かぶグアドループ島にアトリエを持って居る画家で立体作家、グアドループ空港には彼の大きな野外立体作品が設置されています、パリで開催される連帯・登米のオークションに60Mサイズの作品を出品して下さいました。
Rovelas が是非、Satoru の展覧会を観に行きたいと言う事で、仲間と別れて、Mavropoulos の車に私と Rovelas が乗り 、Salevor 夫妻は彼らの車で、2台の車でパリ郊外の Chatillon へ、私の1970年〜2010年迄の自選展を観て頂きました。ロヴェラスは5年前、東京恵比寿に在る日仏文化会館で個展、時を同じくして仙台ネッツトヨタでの日仏現代絵画実展にも参加、東京、京都、仙台に滞在、登米市にも訪問、丁度、上沼八幡山小学校で Satoru Sato Art Museum に寄贈する為の準備作業の時に訪ねて下さいました、空手2段、日本文化を愛するフランス人、フランス海外県、カリブ海に浮かぶグアドループ島にアトリエを持って居る画家で立体作家、グアドループ空港には彼の大きな野外立体作品が設置されています、パリで開催される連帯・登米のオークションに60Mサイズの作品を出品して下さいました。
回顧展形式に1970年から2010年迄の自選 49点の作品を展示している会場。 |
2011年6月13日月曜日
重徳ちゃんからのメール、
お変わりないでしょうか? こちらは 3月11日以来 今日でちょうど3ヶ月になります。被災地は 幾分整理が進みましたが、瓦礫の処理など、まだまだで、避難所暮らしの人たちも 大勢居ます。私も 少しばかりの支援物資を持って、沿岸に 4回ほど行って参りましたが、亡くなられた方、行方不明の方が 何人か居て、何とも やりきれない気持ちです。盛岡の家は 被害は有りませんでしたが、花泉の実家が相当揺さぶられまして、市役所の調査員から「危険建築物・立ち入りをしないように・・・」と云う 赤紙を貼られてしまいました。表のガラスが割れ、壁が落ちて、土台のコンクリートが割れています。家の中は、食器棚や 本棚が倒れて ぐしゃぐしゃです。お墓の石が、台座をはみ出して 今にも倒れそうです。まあ 急がず じっくり直したいと思っています。
平泉の世界遺産登録が、いよいよ 大詰めです。今月の末、6月19日〜から 6月28日にかけて、パリのユネスコ本部で、審査委員会が 開催され、22日から29日にかけて 岩手県の達増知事もパリに行って、審査会でプレゼンテーションをする予定です。我が国が12世紀に東北の地に平和を求めて浄土と云う 宗教社会、平和を希求する自治都市を創り上げた平泉が、この度の大災害の復興への象徴となるかも知れません。今や 岩手の、東日本の切なる願いになっております。 2011・6・11 竹内 重徳
〖 大震災から3ヶ月過ぎても海岸沿いだけではなく内陸地域にも大きな被害をもたらしている大地震、花泉から近 い母親が住んでいた石森の元・佐藤薬局の壁が崩壊、娘の仙台のマンションが半壊と仙台市から連絡が在った り、お陰で今年の夏の日本滞在は東京中心になるか、日本滞在が短くなりそうです。 従兄の重徳ちゃん(前・岩手県知事)の願いは、岩手県民の、東北の願いでも在ります、ユネスコ日本政府代表部の 木曽 功 特命全権大使もパリで頑張って居るはず、世界遺産登録を祈っています、〗
2011年6月9日木曜日
仲間の「ART CONSTRUIT 展」が、開催されました。
Art Construit 展 が6月9日より7月30日迄開催され、9日の夜は遅く迄、大勢の方々で賑わいました、場所はマレー地区、ピカソ美術館から徒歩2分の所にある Galerie NMarino 、出品者は Ainault , Arbelais , Barbosa ,Bensasson , Besse , Carreno , Guedes , Guyarht , Herrera , Marinho , Mavropoulos , Michelangeli , Mutrel , Satoru , Zapata の15名、作家達のアート・コンストウルイ=幾何学構成アート傾向のグループ展、今回の展覧会には画廊のMario 女史と画家の Herrera から誘えわれて居て、小さな作品を初めて出品、皆さん知っている仲間の15名の作家、
今回の出品者の内6名の作家の作品が、Satoru Sato Art Museum にコレクションされていますし、ZapataとMavropoulos は昨年登米アートトリエンナーレに参加しています。その日は丁度、パリで友人の Rovelas のグループ展、A . Sun-Wu の個展オープニングが在り、3ヶ所に駆けつけようと楽しみにしていましたが、ピレネー山脈の麓 Borce からパリに戻ったとたん、旅の疲れか風邪気味、大事を取って一晩休んでしまいました。オープニングの詳しい様子の報告と写真は Zapata のご主人、Bruno が送ってくれました。
2011年6月7日火曜日
ピレネー山脈の麓から。
6月6日、ピレネー山脈の麓、Borce の町に、 1年8ヶ月ぶり、前回は Paris の Orly 空港からPau 空港に着きましたが、今回は パリ・モンパルナス駅よりTGVでPauの駅で下車、 Giannerini 教授が迎えに来て頂いて再会、彼の車で30Kmの距離を西南に向い、 Oloron Sainte Marie の町に 、そこで建築家のEmile Valles と合流して更に現場迄30Km、小雨降る国道134線を南下、Pau から1時間弱で Borce の町、国道沿いに在る小さな公園 Vallee d'Aspe に到着しました、途中、今日の天気予報は雨と出ていて今日は仕事は無理かなと、Gannnerini 教授に晴れ男の異名を持つ私 ?、現場に着いたら太陽が出てくれるでしょうと冗談を言ったのが幸いして、着いた途端に雨がやんで、一瞬雲の隙間から太陽が出て気分爽快、環境造型アートモニュメント設置の基礎工事の為に既に現場には基礎工事の業者の方々が待機しており、
足場が濡れているのでと Giannerini が用意した登山用靴に履き替えて、早速、現場での作品設置場所の測量、長いロープで直線に張り巡らし図面を基本に現場で再度変更チェック、自分の中で1年8ヶ月ぶりのイメージと異なる所が出て来て、作品位置の変更を逆に図面に書き直して、杙を打ち全体の構想配置が完成して行きます、私の場合、微調整、変更が多いので、最後の最後の最後迄、時間が掛かります。途中、小雨もぱらつき始め、傘もささずに、無事、終了と思い気や、太めの35歳近い女性が車から降りて来て、何をしているのですかと、国道沿いを管理する方らしい、連絡を受けてないので、ここでの作業はやめて下さいと、Giannerini は怒りながら説明しても、明日からの基礎工事作業は出来ないと、Borce 町のVallee d'Aspe の
小さな公園は国道沿いに在り、既に、元・パリ国立美術学校教授でオブジェや彫刻を作る 大家 Eric Dietman の大きな作品が設置されていて、今回私の作品設置で二人の作家によるアート公園が完成する予定、その小さなパークは国道沿いで国の管轄、町の管理に成っていて、それにコミューン(地域の共同体)が関わって居て、作品を設置する方はこのコミューンの中でボランテアに現代彫刻をスペイン側とフランス側に国境を越えたアートの道を作ろうとする広大な夢の計画を持つ方々、Giannerini が責任者、既に、昨年の9月に提出している書類を送っていると言う、Giannerini と、連絡が散れて居なかったとする担当者で激突、先ず、町役所に町長さん、コミューンの担当者、文化
担当、それに Emile Valles と Giannerini と私で話し合い、作品も既に出来ている、すべて図面と申請書を出している事と、その後のお互いの連絡が取れなかったと言う事で、基礎工事は7月15日からと決定、その後は東日本大震災と福島原発事故の話題に、一段落して皆さん握手で別れ、私と Giannerini と Valles と3人は Oloron Sainte Marie の街に戻り、以前泊めて頂いたお気に入りのプール付きのHotel に18時に着き、夕食は20時と約束して別れました、20時の夕食はこの地方名産の高級ホワグラ、チーズ、ワインを頂き、フランス料理を味わいました、
夜中から朝方にかけて強風と大雨予想、パソコンを開いたら、パリで開催予定の連帯・登米のオークション・カタログの資料が受信されていて、早速、200名の作家名と作品のチェック、既にチェックは3回目、それでもミスは在るのです、休む前にお風呂に入り、ベットに入った途端に睡魔が襲いかかり、いつもの様に爆睡でした。
2011年6月3日金曜日
外村 孝史 さんからのお知らせです、
未曽有の大震災後の復興対策は緊急の課題であり、中長期的視点からの国家再生は、最も重要な課題であります。国家ビジョン研究会ならではの視座より、新しい日本の産業の構築と日本再生への道筋を提言します。また、その財源を、増税によって確保するか否かの議論に対し、明確な解答を用意します。
国家ビジョン研究会は、研究活動、ロビー活動を活発に行ってまいりましたが、今年に入り、アドボカシー活動(対社会への発信・啓もう活動)として、1月20日超党派シンポジウム”国際外交問題”に続き、4月16日に超党派シンポジウム”農業問題”を実施したところ、好評をいただき、メディアにも取り上げられました。
今般、東北大震災の復興もにらみ、今月6月30日に「日本再生の道筋と、その財源を探る」と題して衆議院第一議員会館大会議室にてシンポジウムを開催いたします。
その内容の枠組みは、1つは震 災復興の対策提言であり、いま1つは、中長期視点と、新しい日本の産業の構築による国家再 生の道筋を提言することです。
また、その財源をどうするかが最大の課題でありますが、今、世論は、その財源の確保を巡って増税論と、増税反対の2つの流 れが有ります。この課題については、白熱した議論となっていますが、我々は、その問題を明確に浮き上がらせます。奮ってご参加くださいますようお願い申し上げます。
「日本再生の道筋とその財源を探る〜増税は復興を阻みデフレを加速する〜」
1.日時 2011年6月30日(木)13:00〜17:00(12:30Pm受 付)
2.場所 衆議院第一議員会館 大会議室
(最寄駅)国会議事堂前
3.参加費 2000円(当 日受付にてお支払いください。)
4.プ ログラム(総合司会 三橋 貴明(経済評論家 / 国家ビジョン研究会経済財政金融
分科会副会長)
< 主催者挨拶 > 中西 真彦(国家ビジョン研究会 代表世話人)
< ス ピーチ >
・金子 洋一(民主党 デフレ脱却議連事務局長)
・西村 康稔(自民党 影の内閣経産大 臣)
・江田 憲司(み んなの党 幹事長)
< 講演 >
テーマ1 「日 本再生の道筋を探る」
講師 清成 忠男(元法政大学総長)
講師 岡本 義行(法政大学大 学院政策創造研究科教授)
講師 藤井 聡 (京都大学大学院工学研究科教授)
テーマ2 「財 源論」
講師 宍戸 駿太郎(元経済企画庁審議官/元筑波 大副学長/元国際 大学学長)
講師 田村 秀男(産経新聞編集委員)
< パネルディスカッション・質疑応答 >
パネリスト
・清成 忠男(元法政大学総長)
・岡本 義行(法政大学大 学院政策創造研究科教授)
・藤井 聡 (京都大学大学院工学研究科教授)
・宍戸 駿太郎(元経済企画庁審議官/元筑波 大副学長/元国際 大学学長)
・田村 秀男(産経新聞編集委員)
5.参加申し込み方法 申し込みは、メール( jimukyoku@kokka-vision.jp )に、氏名・ 所属(勤務先・団体等)・電話番号・メールアドレスを記入の上、宛先「国家ビジョン 研究会 事務局 阪田浩子」までお送りください。
※入 館証が必要となりますので必ず、事前のお申し込みをお願いします。(入館証がなけ れば入場できません。)
6.問い合わせ先 国家ビジョン研究会 事務局長 阪田(090−2327−8111)
主催 国家ビジョン研究会
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〒108-0072 東京都港区白金二丁目5-12-1102
Tel/Fax03-3280-5186 携帯090-5207-6098
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第一回は、エアバス・ジャパン 社長 ステファン・ジヌー氏の「エアバス社の最新状況と製品戦略」と題して5/30日開催しました。
引き続き第二回、第三回のセミナーもエアバス・ジャパンより講師をお招きし「空の旅を変えた大型機A380の開発からマーケティング(仮題)」「今後20年の航空機市場予測と将来の航空機(仮題)」について講演をいただき、出席者とともにディスカッションし、航空分野の研究の活性化、関連産業の振興を図ることを目的としています。万障お繰り合わせ上ご出席下さいますようお願い申し上げます。
早稲田大学「エアバス・セミナー2011」(第二、三回)
1.日時 (第二回)2011年6月14日(火)18:00〜19:30
(第三回)2011年6月30日(木)18:00〜19:30
2.会場 早稲田大学西早稲田キャンパス 55号館N棟1階大会議室
(第二回、第三回は同じ会場です)
(アクセス)東京メトロ副都心線”西早稲田”駅(直下)、出口は”早大理工”です。
3.参加費 無料(定員70名、事前登録制、先着順)
(対象;早稲田大学教・職員、学部・大学院生、一般の皆様)
4.プログラム
(第二回)題目「空の旅を変えた大型機A380の開発からマーケティングまで」(仮題)
講師 エアバス・ジャパン 日本担当コミュニケーションズ・ディレクター
野坂 孝博氏
(第三回)題目「今後20年の航空機市場予測と将来の航空機」(仮題)
講師 エアバス・ジャパン 日本担当コミュニケーションズ・ディレクター
野坂 孝博氏
5.参加申し込み先 「早稲田大学 理工学研究所 NIKEプロジェク ト(航空分野)
橋詰匠」
ご所属・役職、お名前と「第二回」、「第三回」「両方」の区別を記入の上、
なお、「第二回」の申込み締切日は、6/11日(土)「第三回」の申込み締切日は 6/27日(月)です。
6.問い合わせ先 「早稲田大学 理工学研究所 NIKEプロジェクト(航空分野)」
7.今後の「エアバス・セミナー2011」(第四回、第五回)は、7月を予定、なお、
詳細が決まり次第みなさまにご案内いたします。
主催 早稲田大学 理工学研究所
協力 早稲田大学基幹理工学部 機械科学・航空学科
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〒169-8555 東京都新宿区大久保3-4-1
Tel03-5286-3047 Fax03-3200-9886 携帯090-5207-6098
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