2015年7月30日木曜日

石巻と登米市を訪ねて・・・

7月30日、10時、作庭舎の上原さんと待ち合わせ、先ず彼の車で若林区に在る〖春風のころ〗へ、そこで、医療法人福祉〖みずほ〗の佐々木さんと再会、初めてお会いする末永先生も同行、大内さんが運転する車に乗り換えて5名で石巻に出発しました、先ず行き先は末永先生の目的地・石巻市立病院開成仮診療所の長 純一所長さんを訪ねて、東日本震災後の仮設に住む皆様の治療に当たっている長 所長さんは輝いていました、その後、仮設住宅が日本一多いと言われる現場を訪問、総ての仮設が同一でしたが、住んでいる方々や応援の方々の知恵でコミュニテイの場が在り、現場で頑張っている〖あがらいん〗の施設にも立ち寄り磯野敏副チーム長の説明を聞きながら頑張る方々が居る事に納得、3年前(8月8日)に訪ねた柴田さんの〖にじいろクレヨン〗を訪ねた事を思い出し以外と場所は近いらしいと言う事で、只、事務局に着く予定が〖にじいろクレヨン広場〗の方に到着、あわてて、事務所の方に向かいましたが、運悪く道に迷い時間が遅く成り、12時半にお約束の〖森 芳春荘〗を先に訪ねました、日本庭園の持ち主は名取の森内科クリニックの弟さん、森消化器内科外科の森 芳春院長、庭と建物を拝見、勿論、上原さんが担当した庭を観るのがこの日のメーンでした、森芳春荘で昼食の後は茶道の先生のお茶を立てて頂きました。母屋と離れた所に在る茶室は〖ゆうきあん〗と名付けられた由緒在る建築物、秋田から解体して石巻に運び修理・再建した茶室、素晴らしい空間です(旧秋田藩主、佐竹義宣公が石田三成より拝領し秋田に移築したと言う)、日本庭園と言えば、良く訪問している桂離宮の小堀遠州、旧和楽庵の植治・七代目小川治兵衛、モダンを追求した重森三玲の名前が浮かびますが、ゆっくりお部屋や、庭を拝見出来ました。心の休まる空間、ほっと、特に古い茶室に居ると日本人に帰れる瞬間です。楽しい一時を過ごし、病院の廊下に展示してある日本画のコレクションも観て、最後の目的地・登米市へ、途中、午前中、訪ねる事が出来なかった、引っ越ししたばかりの〖にじいろクレヨン〗の事務所に立ち寄れました、柴田さんとは会えなかったですが担当者の方々と会い、子供達が楽しく卓球をしたり、本を読んだり、エネルギーが感じられる事務所に触れて、一路、三陸道で登米市に、30分後にインターを居りて、先ず、中田町の諏訪公園(中田アリーナ隣り)を案内、それから、Satoru Sato Art Museum へ、私の作品と子供達の作品も観て頂き、外国作家の作品、高校生のデッサンの展示作品も、時間が在れば、南方花菖蒲の郷公園に案内したかったのですが、帰り道は、石森章太郎ふるさと記念館に、隣りの安永寺の境内に在る私の作品〖無常の響き〗の歴史在る鐘を打って頂きました。帰りは金成インターと言う大内さんに任せて、途中、車から泉田油店の前に在る〖石=意志の樹〗を観て、石森小学校の作品も観て頂き、夏川芸術橋を渡って、金成インターに入り、40分後には宮城インターで出て仙台市内に計画とおり仙台に戻れました。そうそう、開成仮診察所を離れてから、石巻市立病院開成仮診察所の長 所長の下で働く若い先生はなんと末永先生の息子さんだったのです。




















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