2014年7月31日木曜日

小淵沢駅で、久しぶりの再会は・・・

 菅原孝之と会ったのは、1986年かな、吉田克郎さんから大学院のゼミで気に入っている学生が居るんだ、佐藤氏と同じ宮城県だし機会が在ったら面倒見て!将来性と言うか、頑張りの在る凄く良い奴だからと言われて、渋谷駅近くの彼のアパートに行ったのが最初かな、部屋は凄い仕事場、作品が一杯詰まっていました。1987年、パリの招待展( Espace Abstraction Ephémérite , Chapelle St-Louis de la Salpétrière , Paris )に、彼は出品、彼は教会内でなく、教会の外壁に鉄パイプを組んだ4mX5mX7mの大作を制作、インパクトの在る作品で、多くの評価を得ました。その後、結婚して東京を出て山梨に引っ越したと聞いていましたが、パリで2回目に会ったのは16年前でしょうか、1998年、当時私が審査運営委員をしていた、パリの招待サロンGrands et Jeunes D'Aujourd'hui

(今日の巨匠と青年展)が東京のシェル大賞展とコラボして、優秀な作品をパリに招待してサロンで発表すると言う、シェル大賞展の審査委員として、パリからサロンの会長と私が参加(同時に事務局長も同行)、多くの応募作品の中で、強烈な印象を与えたのが秋葉ミキノさんの作品、鉄と樹の素材を使った作品は全一致で大賞が決まり、大賞受賞者はパリの招待展に出品とオープニングにご招待、そこで、初めて、菅原君の奥様と知り驚きました。当時、菅原君と奥様、子供達の世話にとお姉さんも同行、パリでご家族と対面出来た訳で16年前の話、今日は昔話に花が咲き、私が東洋美術学校で4年間、絵画を学びましたが、彫塑も学び、最初の先生が菅原安男先生の話も、ところが、ミキノさんは新制作協会に出品されていて菅原安男先生を良くご存知、新制作で賞を頂いた時は菅原安男先生の作品
とか、菅原先生の息子さんで造型作家の菅原二郎さんとも面識が在りと聞いて、又又、話が盛り上がり、ミキノさんの美味しい手料理を御馳走に成りながら楽しい一時を過ごさせて頂ました。菅原君は現在、小淵沢駅前のお店の内装を手がけてお店の高さ3メートル近い大きな鉄の門は菅原君の作品、その写真を撮ったつもりが撮れてなく残念、彼の扉の作品をお見せ出来ませ〜ん。又、昔、作ったと言われる、鉄と板で作った塀の作品も傑作、人気の在るウナギ屋の格子戸のデザインも彼の作品、アート作品のおかげで、お店は大繁盛、お店の前で大勢のお客さんが待たされていました。同時に、依頼主も彼の才能を見抜いているのに感心。菅原夫妻と再会を約束して、2時間に一本の特急で新宿に向いました。

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