2019 W杯・備忘録 101
~ 第7回大会・決勝 NZ/FRA ~
第7回大会がNZに決まったのが、2005年11月。これまでの流れで行けば、南半球の順番、そこにJPNが手をあげ、NZとRSAとの三つ巴に。前評判の低かったNZに決まる。ヴェルディエ・日誌には「IRBがJPNではなくNZを選んだことに憤慨した。Midolのコラムの見出しを「愚か者!」とした。何もNZに反対するつもりはない、みんな知っての通り。しかし、つまらない理由でJPNやアジアに門戸を開くことを見過ごすのだろうか? それとも、JPN開催よりも大きな利益を得られると考えたのだろうか? グローバルなラグビーの普及を考えた時、同じようなやり方で途上国に背を向けるのだろうか? JPNの扉を閉ざすことは、疎外を意味し、狭い関係者で固まることであり、身内の伝統に閉じこもることである。これは未来に対する過去の勝利だ。」とある。
その第7回大会、9月に始まり、決勝戦はNZ/FRA、10月23日(日)に行われた。この両チーム、予選プール同組で戦っており、その試合では37-17でNZが勝利している。FRAは、予選プールでTONにも19-14で敗れ、予選プールは2勝2敗、勝点差で決勝ラウンドに進出できた。予選プール2敗で決勝ラウンドに駒を進めたのは、第1回大会のFIJに次いで二度目。準々決勝ではENGを19-12で破り、準決勝はWALと戦い、19分:WAL主将ウォーバートンがレッドカード退場となったことが大きく、9-8の辛勝。日々、チーム内のゴタゴタが報じられていたこともあり、世界中のほとんどの人がNZの勝利を確信して迎えた試合だった。
試合経過は次の通り。NZの得点は「○」、失点は「●」、NZが得点を逃したのは「×」、FRAが得点を逃したのは「*」。
分 | 得点 | 種類 | 起点となった(リ)スタート | |
× ★ ○ × * | 6 9 14 26 37 | 5- 0 | PG T PG DG | NZのキックオフで試合開始。 FRAのP(ラインオフサイド)。NZ・9・PG外す NZ選手との激突でFRA・⑩が倒れているが、ゲームは続行される。 FRAゴール前10mのNZラインアウト:6←1・トライ、G・9外す FRAのP(ラック・ハンド)。NZ・9・PG外す FRAラインアウトをNZがタップ・スチールするもFRA・⑧の胸に(ラック)③(ラック)⑨→②(ラック)⑨→⑧(ラック)⑨→㉑・DG外す |
* ○ ● * | 41 43 45 64 | 8- 0 8- 7 | PG PG T+G PG | NZのP(ラック・ハンド)。FRA・⑨・PG外す FRAのP(ノットロールアウェイ)。NZ・㉑・PG FRAのキックオフ⇒14→6(ラック)9ボックスキック⑧ノックオン15ラン(ラック)ボールが出たところを⑬足を出す㉑ラン→⑨→⑮→⑬(ラック)⑨→②(ラック)⑨→㉑→⑬→⑥・トライ、G・㉑ NZのP(スクラム・コラプシング)FRA・㉑・PG外す |
(注)「→」は順目のパス。「←」は内返しのパス。
○に入った数字はFRA選手の背番号。
不気味な光景が目に焼き付いて離れない。9分「★」が未だに蘇ってくる。NZ陣:NZラインアウトからのパスを受けた13が突進・FRA⑩が逆ヘッドでタックル・倒れた⑩の頭をNZ7の膝が直撃・⑩は倒れたまま動かない、しかし、試合は止められない。更に、ボールがタッチに出・試合が一旦止まったにも拘わらず、⑩は放置されたままFRAドクターが診ているが、NZラインアウトで再開される。まるで、SFのシーンを見ているようだ。レフリーもタッチジャッジも何事もなかったかのように試合を続けている。FRA選手でさえも感情のないサイボーグのように無表情に黙々と次のプレーに集中している。
未だに理解できない。サッカーの試合じゃないんだ。ラグビーの試合で選手がピッチに倒れたら、試合を止めなきゃいけない。これは不文律だ! なぜ「放置」されたのか?
主審はジュベール(RSA)、FRA・HC・リエブルモンは『回想録』(原題:『CADRAGE & DEBORDEMENTS』)の中で「世界最高のレフリー、それはこの試合後もそう思っている。知性的で議論を拒まず研ぎ澄まされたフィジカルを有している」と記している。未だに訳が分からない…
FRA・⑬・ルージュリーは自伝の中で『モルガン・パラ(注:FRA⑩)はリッチー・マコウ(注:NZ7)に狙われていた、マコウの意図した膝の一撃。 … 試合を通じて、オールブラックスのキャプテンはやりたい放題やっていて、常にこちら側に寝ていた。かなりの数のNZのペナルティが取られ、我々にPKの機会が与えられてしかるべきだった。優勝に近づいていた。試合終了後、フラストレーションと耐えがたい不公正さを覚えた。』と振り返っている。
FRA・⑭・クレークは自伝の中で『語るべきプレーがほとんどない。ペナルティの失敗…モルガン・パラの開始早々の負傷交替、マコウの衝撃で… 決勝の重みに耐えられなかったレフリーの寛容さ』と振り返っている。
前回の備忘録で引用した「リッチー・マコウ/グレッグ・マクギー 斎藤健仁/野辺優子訳『突破!リッチー・マコウ自伝』東邦出版株式会社 2016年」、自伝と邦訳されているが内容は2007W杯準々決勝FRA戦での敗退から2011W杯決勝FRA戦での勝利までの軌跡、実に詳細に書き込まれている。山あり谷あり、というより「谷」の連続をどう乗り越えたかに力点が置かれていて読みごたえがある。決勝戦も後半を詳述している。いかに偉大な選手なのか、ずしっと伝わってくる。感動的である。しかし、残念ながら、「★」この接触プレーについては、当事者でありながら触れられていない。
FRA・HC・リエブルモンの『回想録』では、
「試合前日、FRAスタッフの一員になっていた元国際審判:Jutgeがアポイントを取り、決勝で笛を吹くJoubert(RSA)と彼の滞在するホテルのバーで会った。その際に、いくつかのNZの疑義あるプレーについて映像を見せ、見解を聞いた。 … Joubertは「黒ジャージ15人対白ジャージ15人の試合を吹くだけだ」と言っていた。」(p100)
「モルガン(注:FRA⑩)がケガで退かざるを得なくなった、グロッキーで、顔面が腫れた状態で。レフリーは試合を止めなかった、11分後、NZ10・クルーデンが負傷交替するときには試合を止めたのに。まぁ、そんなもんだ:NZの地でブラックス相手に決勝戦を戦うのだから;こんなひどい扱いを受けるだろうことも予想できた。チャレンジャーのボクサーが敵地でタイトルに挑むようなものだ:KOするしかない。」(p112)と記されている。
「放置」されたこともさることながら、単なる「アクシデント」だったのだろうか?
時を置いて、何度もスローモーションで見返している。
①マコウは自分の走り込むコースに相手選手の頭があることを認知していた。常人を超えた能力を持った選手であり、彼の視覚の精度・範囲からして、目の前に「頭があること」は認知していたと推定できる。
②認知した時点で、足の軌道を制御していたか?(=ブレーキを踏んだのか?) いくら見返してみても制御したようには見えない。
この2点は事実だと思う。
では、この事実をどう解釈すればいいのか?
リエブルモン、1999第4回W杯準決勝でNZを下したFRAの6番、実に「うまい」選手だった。回想録では、この接触プレーに触れていない。行間を読むとなんとなくリエブルモンはこう思っていたのではないか、と邪推したくなる。
「冷酷無比」にミッションを遂行する、だから、マコウはすごい選手なのだ、これぞオールブラックスのキャプテンだ。敵ながらあっぱれ!
「この大会のFRAは、決勝に出てくるのには値しなかったが、優勝に相応しかった」と、ルージュリーはENG人に、クレールはNZ人に言われたと回想している。
NZ人、元WAL・HC・ガットランドは自伝の中で次のように振り返っている。
I was able to enjoy the final down there at the water’s edge. I had no doubt that the All Blacks would win, for the very good reason that they were the best team in the tournament. They were not, however, the best team in the final – and I say that as a native Kiwi. France dredged up a really resourceful, committed performance from somewhere that night and should have won. I know so many Kiwis will rubbish this, but that is my opinion. Anyhow that’s sport, and while I feel New Zealand may have been lucky to win, they were the best team in the World Cup so probably deserved it. Bryn was watching alongside me and at half-time I said: ‘Right, try to watch the next forty minutes from the French perspective.’ Which he did. And all I heard from him during the second half was ‘that should have been a penalty to France … and so should that … and so should that.’ He was right. The French lost by a point in a low-scoring contest and had good reason to feel hard done by. Please believe me when I say that I knew how they felt. (p216)
歴史的事実として、NZが1点差で勝利し、二度目のW杯優勝を果たした。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、書きおくべきこと・記憶すべきこと・語り継ぐべきこともある気がしている。
2019W杯は、「NZの三連覇がなるか?」と謳われていた。しかし、2011年決勝の記憶からすると、「えっ!? 三連覇になるんだっけ…」と感じていた。
令和3年10月30日