2018年5月29日火曜日

Satoru Sato Art Museum の新しい展示のお知らせは・・・

登米市中田生涯学習センター企画の最新情報は・Hommage à Otto Freundlich (オット・フロインドリッヒに捧げる)展、開催のお知らせです。Otto Freundlich の他に、彼と関わりの在った、Aurelie Nemours , Hans Steinbrenner , Marie -Thérèse Vacossin の4人の版画展(版画集)、Otto は今年で生誕140周年、1878年ドイツ生まれ(現在のポーランドの Stolp=Stolpsk)、1908年パリのピカソやブラックと同じアトリエ村、Bateau-Lavoir に住んで制作、第一次世界大戦直前、ドイツに戻り、1924年再びパリに、パリでは当時、非具象、抽象絵画の運動、多くのヨーロッパの幾何学構成アーテイストが集合した、Abstraction-Création に参加、第二次世界大戦ではナチスに追われ南仏へ逃れるが1943年3月に逮捕されポーランドの強制収容所へ輸送、3月10日その列車が爆破され悲惨な死を迎えました、収容所で亡くなったと言う説も在り当時の記録は定かでないのですが、皆さんもご存知の様に多くのユダヤ人が亡くなっていた悲惨な時代でした。墓はパリから40キロ北西、Auvers-sur-Oise に夫人と共に眠っています。彼は画家であり、彫刻家であり、その芸術の理論と哲学的著者で、抽象美術の最初の時期の代表的芸術家と言われ1910年には既に抽象絵画を描いていた芸術家だったのです。

2018年5月23日水曜日

FVW出版社のFrank からの連絡は・・・

来年(2019年)春、パリのFVW出版社より⎾在仏50周年記念作品集⏌出版計画の表紙が届きました。未だ未だ時間が在りそうで無さそうで、

2018年5月22日火曜日

Art'Loft のGil と再会


ブルッセルの Gil Bauwens が3年前に彼のギャラリーで展覧会をして頂いた時に預けた、残りの作品4点を届けて下さいました、我が家に帰った作品(1991〜2015)は、早速、来年出版する計画予定の作品集の為の写真撮影に間に合いました。
Gil とは久しぶりの再会、Gil & My Lee ご夫妻には、3歳の男の子がいます、早速、写真を見せて頂きましたが、なんと、Gil にそっくりの顔立ちに吃驚、特に眼がパッチリ大きく、ブルー、本当に可愛いお子さんでした。乾杯

丹吾ちゃんの忘れモノ・・・


おはようございます。昨日送信し忘れた写真です。徳仙丈山の上の方からは気仙沼市内と、気仙沼湾に浮かぶ大島が見えます。写真には唐桑半島側と大島とを結ぶ「大島大橋」が小さく写っています。この橋は工事中で、今年度中の開通予定だとか。何月開通だろう?   

◎⎾丹吾ちゃんの独り言・・・それにしても懐かしい大島、中学の臨海学校に参加した時、担当の先生に内緒で漁師の船に乗せて頂きウニ取りを体験出来ました、担当の先生は知らないふりをなさって見逃してくれたのかも、今年の夏は大島に行ってみたいな〜、行けるかな⏌

2018年5月21日月曜日

徳仙丈山の風景が届きました・・・

気仙沼市の徳仙丈山。ツツジが見頃です。ピークを1日か2日過ぎた感じ。
写真1.本吉口から登り、山頂付近から見下ろすと南側斜面に自生するツツジ群が見事、写真2.気仙沼口から登るとツツジの回廊が出迎える。写真3.散った物も有るけれどまだまだ見頃、写真4枚、送りました。

⎾4枚の綺麗な写真が届きました。送り主は・YouTube でお馴染みの、TANGO CHANNEL 製作者の丹吾ちゃん、青葉祭りの写真は撮れなかったけれどと、気仙沼に移動しての綺麗な写真が届いた訳です⏌

2018年5月19日土曜日

Parc de Montsouris モンスリー公園は、

今日はアトリエで環境造形作品(=野外立体作品)の図面やデッサンの写真撮り、17時半過ぎに気分転換にいつもの Parc Montsouris 迄散歩、公園を一周して帰宅すると丁度、4Kmちょい、登り坂あり下り坂在り、階段在りで今日も快晴、気温は19度、散歩には快適(時には18時過ぎに散歩に出る時も)、日の入りが6時、日の入りが21時30分と遅くまで明るいので助かります。明日から気温は多少上がり23度から来週は28度迄上がるそうですと言っても日陰は涼しく散歩には快適です、普段、日照時間が少ないパリ、パリジェンヌやパリジャンは快晴となれば公園の芝に横になり日光浴を楽しんでいます。

2018年5月18日金曜日

今日のランチは、いつもの様に・・

美術評論家のGerard Xuriguera 先生を囲んでのAlcazar でのランチ会、いつものメンバーで、今日は少なめで15名、プラ、デザート、カフェ(私だけノワゼット)を美味しく頂き、その後は、いつものカフェに行って、又々お茶してお喋り、出版会社のFrank氏とパソコンのフォトショップで写真の一部を調整したり、作品集の表紙の打つ合わせも出来ました。
左からFrank, Satoru, Gerard 

2018年5月17日木曜日

FOUJITA 展を観てきました。

Musée Maillol  (マイヨール美術館)で開催されている藤田嗣治のパリで初めての個展を拝見してきました、タイトルが Peinture dans les Folles 、狂気の中で白乳色の絵を描き続けた藤田の作品には常に華を感じさせ、華の在る絵は永遠に人の心の中に生き続ける、凄い画家だと再認識させられました。そうそう、藤田のカタログに1923年、パリのギャラリーで藤田はじめとする日本人展が開催され、その時の写真が図録に載っていました、そのグループ展の仲間の写真に一人だけ、画家でも無い彫刻家でも無い方が一人写っています、フランス語と英語が堪能で展覧会の世話人、当時、パリでカッサンドルと肩を並べてグラフック・デザイナーとして活躍していた里見宗次先生、モンパルナスの華やかりし頃の話を良く伺ったものです(藤田が描いたデッサンも里見先生のお宅に飾って在りました)

2018年5月16日水曜日

ランチの後はカフェに、そして、

今日は久しぶり Stéphane Cousot と再会、我が家から近くのお店で、お喋りしながらのランチ、その後、いつものカフェに行ってコヒーを飲んでから我が家に、彼はParis VIII大学の教え子、1991年頃からの付き合い、1994年にはアシスタントとして登米市の登米祝祭劇場の庭にモニュメント設置の時に来日、今は家族付き合いしている仲間、現在、彼は南仏エックスプロヴァンス大学のアートの先生、時には母校(パリ第8大学)で講義をする時も在り、映像関係の仕事を中心にアート活動をしている、昨日は母校のParis VIII大学で最先端技術を使った展覧会に参加して、明日は、ナンシーの大学に移動とか忙しい中、我が家でもゆっくりお喋り、話の途中で携帯の調子が悪いので修正してもらい、ついでにパソコンでWiFiのWepからWPAに変更してもらい、統べてが解決(一安心)、彼は学生時代からコンセプトの強い作品を作っている作家、パリの招待サロンに参加していた先が楽しみな作家仲間です。

2018年5月15日火曜日

来客在り・・・

Galerie Wagner のオーナーFlorence がやって来ましたと言っても、昨日の夕方 Alesia 地下鉄出入り口で後ろからサトルと呼ばれて振り向いたら Florence が知り合いのご夫妻と一緒で紹介されて立ち話、7月14日から始まる展覧会の作品は完成したのと言われて、完成して居ますよと、コレクターのAndre le Bozec に丁度、完成した作品2点の写真を送った所と説明したら、それでは、明日、9時半に作品を見に行くと言う事で寄って下さいました、私が夏のヴァカンスに出る前にFlorence が作品を引き取りに来ると言う事で話は一段落、後は向かいのカフェでノワゼットを飲みながら展覧会の話などなど話が出来ました。写真は1981年 招待Salon・Grands et Jeunes d'aujourd'hui に出品した作品とFlorenceです。

2018年5月14日月曜日

アトリエの中で作品撮影中で〜す、

来年出版予定の作品集の為、アトリエに在る包装された作品を取り出して、只今、撮影中、意外や意外、大きな作品は特別な展覧会の為にと40年前の作品がアトリエの中で眠っているのですが改めて旧作を見てみると懐かしいと言うか、丸や長方形、直線のみの作品と言っても今の作品とは程遠く、いろいろ変化しながら、平面から立体と変化しながら今も平面を作る自分の中での流れを振り帰りながら、それにしても、45年前は7階の仕事場件住まい、狭いながらも部屋数が在って、いろんな方が泊まりに来たり訪ねて来たり、その後、1階のアトリエに引っ越し、160X266cmの作品や 200X200の連作を、当時は、Réalités Nouvelles , Grands et Jeunes d'Aujourd'hui , Comparaisons , Salon de Mai の招待展に大作を出品、車の屋根に積んで元気に風を受けながら運んだ頃が懐かしく思い出されます。そんな作品を久しぶりに観て、昨日の様に青春がそこに居る様な楽しい気分に、それにしても200X200の作品も以前は簡単に運べたのに重いな〜と、写真撮影の為、アトリエに置いてある小さなブロンズを移動(30kg)、いやいや、腰に太い作業用のベルトを巻いて狭くなったアトリエの中で楽しんでいます。
珍しい円の作品は1975年制作
163X260cm、1976年制作、作品の天地が逆で〜す。 
200X200cm、1977年制作
150X162cm1978年制作

2018年5月12日土曜日

5月12日の黄昏れ時、パリでテロ事件が発生・・


12日、20時48分頃、パリ・オペラ座の地区、近くには日本食品店や飲食店、カフェも在るモンシニー通りで、男が刃物で通行人を次々に襲い、1人が死亡し4人が負傷した事件が発生、犯人は「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫んでいたと、テロ事件として報道されています、犯人は仏国籍を持つ過激派組織イスラム国(IS)系との事、又、犯人は警察によって射殺されたとの事、フランス国内にはフランス国籍の(難民移民も含めて)イスラム国予備軍が想像以上に居ると警戒されています。パリの日の入りは現在 21時20分と成っていますが、夏に向かって未だ未だ長くなりそうです。

2018年5月11日金曜日

懐かしの Kupka の展覧会をみてきました・・・

グラン・パレ( Grands Palais ) でのクプカ ( Kupka ) の展覧会をみて来ました、私が小学4年の時、初めてクプカの画集を見て水彩画で模写した事も在り、小さい時から何故か親しみのある画家、そんな事も在り、彼が学んだウインの美術学校に1969年の12月のクリスマスの時期にその学校を訪ね、パリの美術学校からの転校を考えた程、一時期、幻想的なシュールの絵を学ぼうと考えた事もありましたが、勿論、彼はウインで学んだ後、パリに住んでから幻想的な具象絵画から、立体派の影響を受けながら、抽象絵画へ、特に1931年の アブストラクション・クレアション( Abstraction-Création )に参加し、主要メンバーとなり、多くの幾何学構成的傾向の画家たち(特にデ・ステール)との交流が始まり、作品は幾何学構成的な絵画に、そして戦後、Salon Réalites Nouvelles に参加していた画家でした。彼はチェコのオポチの生まれ(1871年)で、パリ郊外のピュトーに亡くなる迄(1957年)住んでいたのです。親しくさせて頂いて居た Michel Seupor 氏からモンドリアンやクプカの話を聞いていましたが、個人的には1930年代の作品が好きですね。また、偶然、彼が制作した木版画(QUATRE HISTOIRES DE BLANC ET NOIR / FRANK KUPKA/PARIS - 1926 )の版画が他の絵画やデッサンと一緒に展示されていました。その木版画集のプレス関係者の限定版が、今年の夏には Satoru Sato Art Museum に展示される予定です(45年来の友人、世界的な美術評論家・Gerard Xurriguera 氏から無償で頂いた版画集 = 既に2月19日、私のブログで紹介しています)。
10歳の頃、この絵を模写していました。
木版画集1926年出版

2018年5月7日月曜日

Daniel de Spirt の撮った二人展の写真が届きました。

Daniel がパリ近郊のAtelier に行く途中に我が家に寄って頂き、カフェに行って久しぶりにお喋り出来、先月21日、CARRESPACE での二人展の展示風景の写真を頂きました(私が撮った写真は私のミスで全て消えてしまったので、Daniel のお陰でやっと展示会の雰囲気を載せる事が出来ました)、展覧会は6月3日迄開催されています。