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2011年1月28日金曜日

Silvano Bozzolini の回顧展を見れなかったのが、残念でした。


ボゾリニの回顧展が昨年、11月6日より、今年の1月6日迄、プラト(イタリア)の Galleria Open Art で開催されました。
Little more than ten years after the death of Silvano Bozzolini (in 1998), the Galleria Open Art in Prato is staging a retrospective exhibition of the artist’s work.
Unjustly neglected in Italy, Bozzolini was a Tuscan artist — he was born in Fiesole in 1911 — who, in 1947, decided to move to France, where he met and worked with other great artists.
An exponent of abstract art — interpreted as the possibility of expressing and representing the drama of Europeans in the twentieth century — Bozzolini emerged as a reserved, but very attentive, observer of the international developments in art.
Bozzolini is a figure with a complex biography, who after fighting in the Second World War, abandoned figurative art to become an abstractionist.
A recent study devoted to him — a complex work by various authors — has restored to his art the centrality it deserves.
So for the first time, after years of inexplicable silence, a private gallery has decided to organize an exhibition featuring one of the exponents of international abstraction, with a choice of works telling the story of the artist and his participation in the birth of this movement in Europe.

画家としての大先輩と言うよりは、パリでの親父的存在のボゾリニ氏と言った方が正確で、パリで画家として生きて行く為にはと貴重なアドバイスを受け、彼の晩年迄、家族付き合いをさせて頂いたボゾが亡くなって、もう、13年に成ります。彼の全作品を収録した図録も完成しての回顧展、本来、イタリアのオープニングに駆けつけなくては成らないのに、11月6日は、日本に滞在中で、息子のアンドレア(andrea)やルカ(luca)に会う事も出来ずに失礼していましたが、コレクターの  René Spoerry 御夫妻からメールが届き、画家のBonfanti  氏が撮った会場写真を見て安心しました。ボゾとは 1972年からのおつきあいで、ボゾが亡くなっても、息子達とは今でも交流が在ります(パリのアトリエとアパートを兄弟で管理して居るので)。33年前、夏休みを家内とエルバ島の彼の別送で過ごしたり、2度目は、娘と家内と、当時、パリで私のアシスタントをしていた造型作家の越野君と一緒に1ヶ月間、真っ黒に海に遊んだり制作したり、奥様のマルタや息子のアンドレア家族やルカ家族と一緒に過ごした事も在りました。イタリアで初めて個展が出来たもの、又、一度に65点の作品をコレクションして下さったコレクターを紹介して下さったのもボゾで、38年前の話です。
彼に出会って、幾何学構成アートの作家達を紹介され、パリのサロンやグループ展に誘って頂き、自分の方向性が定まって来た時でした。彼は1911年イタリア生まれで、1947年からパリにアトリエを持ち、その後、ミラノとポジボンシー(フィレンツエ近郊)そして、エルバ島にアトリエと別荘を持ち、ヨーロッパで制作発表しながら、後輩を育てた画家でもありました。



今年で生誕100年に成るボゾは、日本でも1974年から新橋に在った第七画廊でのグループ展に参加したり、1980年代には銀座のモリス・ギャラリーでも個展をしている画家です。上の写真中央の白髪の男性が長男の画家 Andreaと右が次男の建築家のLuca です。

2011年1月25日火曜日

GPS端末の携帯義務付けに関して、

宮城県知事が2月24日の定例記者会見で、性犯罪前歴者に衛星利用測位システム(GPS)端末の携帯を義務付け、警察が常時監視する条例制定の検討に関し「健全な県民、国民をいかに守るかという視点が大切だ」と意義を強調したと言うニュースが流れ、又、それに対してどこかの県知事が、犯罪者の再生、人権の侵害に成るのではと反対声明を出している記事を読んで、この方の加害者を人道的に守る権利を主張するのは解りますが、被害者の受けた傷を本当に理解しているのだろうかと、日本に旅した外国の方々に世界一安全と言う印象を与えて居た日本の社会状況は20年前と異なり、最近は過激で悪質な性犯罪が広範囲に多発して居る中(外国と比較すると日本は治安が良いと思います、パリ等では良く路上で職務質問されている方を見かけます)、何度も繰り返される事の多い性犯罪者には当然、GPS端末の携帯を義務つけられて良いのではと、此れは、宮城県の問題でなく日本の問題を宮城県がいち早く日本と世界の現状を把握して発表されたモノと感心致しました。フランスでは悪質な性犯罪前歴者にGPS端末の携帯を義務づけています、それでも犯罪が繰り返される事件が発生しています、事件後の犯罪者のケアーと被害者のケアーを大切と言われますが、最近の日本では加害者の権利を守る雰囲気が強い様にお見受けします、勿論、事件を未然に防ぐ為にも、皆さんで共有する安全に生活する社会の意義と権利、そして、義務を語り合えるの事が大切の様に思われます。正当防衛を認めるフランスでは護身用の小型ピストル、小型ガス噴射器をハンドバックに入れているご夫人も、乗用車の中にはガス噴射銃を置いている友人も、事件に巻き込まれない様に自衛する意識、注意している所が凄いですね。

2011年1月20日木曜日

昨日は、パリの Centre Pompidou に行って来ました。

昨年の12月1日から今年の3月21日迄、パリのポンピドウ・センターの6階、大展示会場で、MONDRIAN / DE STIJL の展覧会が開催されています、此れは、凄いですね、作品の質、保管の良さ、展示の良さ、展示空間自体が現代に生きている素晴らしいものです、1回目は、モンドリアンの作品を中心に観て、2回目は、デイ・ステイールのメンバーの作品を観て、3回目は模型や資料を中心に拝見しようと、入館者が少ない時間を見計らって行くのですが、その都度、人が一杯、もう1ヶ月半も過ぎているのにと思いながら、人が一杯でも集中して周りを気にしないで作品を観て行くと、精神が洗われると言うか、特にモンドリアンの作品の前に立つと感動しますね。勿論、デイ・ステイールの部屋は De Stijl と Le néoplasticisme と言うタイトルで分類されて居る絵画部門では、Huszar, Doesburg, Vantongerloo, Leck, Mondrian,   Rietveld の作品が展示され、De Stijl:une avant-garde transdisciplinaire ではDoesburg, Hoft, Rietvelr, Oud, Kiesler 等の建築&空間デザインアート、椅子とテーブル、幾何学構成アートの生活空間を作り上げ、グループとして発表している模型も見事な作品でございます。
日本でも幾何学構成アートを追求している方々がいます、其の方々にとっても多少の追い風に成るのではと期待しています、日本では一般的に商業絵画の流行を追い、一つの流れが通りすぎると過去のモノと成り、忘れ去られてしまう運命に在り絵画の歴史の蓄積が出来にくい所が在りますが、ヨーロッパではきちんとした流れをと言うか、資料が在り、美術史の中でどのように私たちの作品が位置づけられ関連して居るのか、足元が解り易いと言うか、自分たちの現代アートがどのような流れの中に在るのか確認出来ていないと、そこからの脱出も見えて来ない、出来ない訳ですから大切な事の様に思われます。
大きな影響力を及ぼしたデイ・ステイールのグループの作品とネオ・プラステイシズム(新造型主義=モンドリアンが提言した理論)の作品を観て、ヤン・ファン・アイク、ブリューゲル、フェルメール、レムブラント、ゴッホ生んだオランダの歴史をふと想い、20世紀と共に北ヨーロッパで花開いた幾何学構成アートの展覧会、1930年、ミシェル・スフォー(Seuphor)とトレス・ガルシア(Torres Garcia)二人がパリで企画したセルクル・カレ(Cercle et Carré) 展にモンドリアンやデイ・ステイールのメンバーも参加、彼らはパリを舞台に制作発表しパリにアトリエを持って居た時期が在りました、私のアトリエから歩いて3分の所に、ドウスブルグのアトリエが在ったり、パリは古い歴史が生きて居ます、スフォー氏から聞いて居た清潔なモンドリアンのパリのアトリエが再現されて展示されているのには驚き、さすが、パリならではの粋な展覧会と感心しています。
又、スフォーとモンドリアンの共作、絵と詩(Tableau-Poéme) のリトグラフィも展示されていて、昔、スフォー宅で見せて頂いた作品と同じ作品と懐かしく思い出しました。
展覧会は3月21日迄、何度、又、足を運ぶか解りませんが楽しみにしている所です。


2011年1月15日土曜日

1月15日、パリの天候は、曇り時々晴れ、


アルジェリアのデモと暴動、ニジエールでのフランス人観光客2人の誘拐、殺害事件、コートジボアールの大統領選での、その後の問題等、1週間前、1月8日のブログで紹介しましたが、そちらに眼を取られていた矢先、アルジェリアの隣国、チュニジアでも、高い失業率、政治腐敗などに対するデモは在りましたが、既に暴動が全国的に広がり、誰もが予想して居なかった、ベンアリ大統領が1月14日、サウジアラビアにまさかの逃亡したと言うニュースがテレビで報道され皆が驚き(政府=大統領は軍事圧力で市民を抑えるだろうと言う大方の予想を覆し)、23年間続いた独裁体制が崩壊したと言う、パリに居るチュニジアの方々はテレビの報道で革命が出来たと大喜び、7月14日はフランスの革命記念日、チュニジアの革命記念日は1月14日だと、今日も歓喜する映像が写し出されていました、外国に出て祖国に革命をと唱える方々も居ましたし、フランスの政治家の中にも元・チュニジア出身の方々も居ます(チュニジアとフランスには永い歴史が在り、1883年のマルサ協定でフランスの保護国と成り、フランスによる統治が、すなわち政府及び地方自治体の要職迄フランス人が占めた時代が1955年迄存在していたのですから、チュニジアは1956年にフランス統治より独立しました)、アフリカに変化する時が来て居る様です、勿論、国々によって違いが在ります、資源の在る国、乏しい国、イスラム、カトリック、プロテスタントと言った宗教もからみ、民族の歴史もからみながら、強権的体制に対する市民の異議申し立てのデモが大きな力となり独裁政治を崩壊させる事に気がついた訳ですから、それが更に大きな渦となり力となり、アフリカやアラブ諸国にも今後、大きな変化を与えそうな革命の嵐が吹き渡って来る様です、勿論、そこには、又、別の大きな政治が動いているのでしょうが、日本に近い北朝鮮にも変化が起きて居ますね、激変する世界、羅針盤を見失わない様に進みたいものです。

2011年1月9日日曜日

今日は1月9日、日曜日、パリの天候は曇り時々晴れです。

久しぶりに昔(20年前)母を案内した2カ所の朝市に顔を出してみました、ラスパイユ通りに面したとマルシェ(地下鉄レンヌ駅)とアレジア通りに面したマルシェ(地下鉄プレザンス駅の近く)に散歩がてらの買い物、モンパルナス駅から近いレンヌの地下鉄駅を出ると直ぐにラスパイユ通りに面したマルシェの入り口に出ます、ここの朝市は日本の雑誌で紹介された様子で、ビオの野菜、果物、蜂蜜、パン、石けんなどの出店も出て日本人の旅行者と見られる方々も多くビックリしました、それからバスに乗って一度自宅に戻り、毎週日曜日買い物するプレザンスの朝市に、ここは観光客は居なく、近くの住人が買い出しに来る朝市、新鮮さが売り物の朝市、早速、サーモンを買おうと並びましたが魚屋さんの前には既に客が20人近く列を作っていました、その後、チーズとバターを買うのに5、6人並んで、それから花を一杯買って今日の買い物は終了、マルシェからの帰り道、カイザーのパン屋へ立ち寄り、バゲット3本とクロワッサンとパンチョコラを買い込んで自宅に戻りました。フランス人には、おしゃべり好きな人が多く、待つもの待たせるのも平気ですからのんびり屋の私には最適です。
午後は珍しく、南仏、ピレネー山脈の麓、スペイン国境に近い、オロロン・サン・マリー市に住む、ルイス教授から電話が在り、野外造型作品の基礎工事の確認の為、構造計算も兼ねて建築家の方に基礎工事の最終図面を改めて送って欲しいと言う連絡が入りました、春に完成予定で、材料の御影石、材木(船の帆柱に使われる丸太)は、図面通りに制作に取りかかっていると言う事です、小さな公園ですが既に造型作家のエリック・デイエットマンの作品が設置されていて彼の作品と私の作品が共存する空間作りが必要なので、如何に自然空間を活かすかも楽しみで、図面は昨年の春に完成させていまして(昨年は6ヶ月間パリを留守にすると言う事で制作、設置が延びていました)、今年の春は作品の点検と現場での微調整、それは、現場で立ち会っての仕事になります、










1月8日のテレビも、いろんなニュースが流れています。


昨日(1月7日)久しぶりに、友人のスリゲラ氏はじめ画家や美術評論家、コレクター仲間とル・マルシェ・サンジェルマンに在るイタリアンのレストランで昼食、その後、ル・ビストロ・マザリン迄散歩、そこでコーヒーを飲みながらハバナ産の葉巻を吹かす仲間と3時間近くのおしゃべり、私の方は6ヶ月ぶりに聞くニュース、いつも思うのですが、文学に関しても料理に関してもアートに関しても良く知っている仲間達に脱帽です、今日はサルコジ大統領と内閣迄の批判、情報もかなり詳しいので感心致します。
フランスの産業スパイのニュースも、ルノーと日産が共同開発している電気自動車(EV)の技術情報が中国企業に漏れた可能性があると、フランス共和国の戦略的企業としてルノーの15%の株式を保有する政府が調査に動き出したとか(ルノーと日産の位置づけは、日本とフランスでは違う見方が在る)、ハイテク企業間の情報収集は激しさを増して居る様です、又、元・フランス植民地のコートジボワールでは2010年11月28日に行われた大統領選挙は、フランスとアメリカを中心とする国益からみ、バボ陣営とワタラ陣営の綱引きが続いています、アフリカへ浸透している中国進出も欧米諸国が気になる現状、北朝鮮と韓国との紛争も、中国、ロシア、アメリカの国益がからみ、分析する角度が異なると、世界の動きもいろんな見え方が出来る様です。今日は15年前に亡くなった仏第五共和国、第4代目大統領で2期(14年間)務めたフランスワ・ミッテラン氏の15周忌、テレビで報道されていました、同様にアフリカ(ニジエール)でフランス人2人がテロリストに誘拐され殺害が確認されたニュースや、アルジェリアでは地元・内閣に対するデモ軍団が市内を暴れ回っている様子や、国内では春には遠い季節ですが、寒波の後、急に暖冬が来て、雪解けで北フランスの地方の一部で洪水のニュース等、新年早々テレビが賑わっています。

2011年1月8日土曜日

美味しいおせち料理も届いています。

あけましてお目出度うございます。昨年は4月の結婚式の御祝いのメッセージをいただき、また登米アートトリエンナーレにおきましても大変お世話になりました。多くのことを学び、感じた、実り多き年となりました。干支のウサギにあやかって、今年は「兎の上り坂」と着実に一歩一歩を駆け上がっていきたいと思います。サトル先生におかれましても益々お元気で!
             今年もよろしくお願いいたします。                                 新田 修平 & 由佳
〖 いろんな年賀状を頂いていますが、今日は、じっくり時間をかけて作り上げた美しく輝く〔 おせち料理〕 の写真が届きました。送り主は、昨年4月に能舞台(登米市伝統芸能伝承館・森舞台)で結婚式を挙げた友人の登米市登米町在住の新田修平ご夫妻、奥様の由佳ちゃんが作る愛情豊かな「おせち料理」は歴史を感じさせる色鮮やかな本式の奇麗な美味しそうなこだわりの在る料理、修平さんのお雑煮を食べている笑顔も最高。


幸せがパリ迄届いていま〜す。 〗





2011年1月6日木曜日

フロリダからエクアドルの写真が届きました。

年賀の挨拶をいろんな方々から頂いていますが珍しい事にフロリダ(米国)に住む Lnes Silva  夫妻から、南米エクアドルの首都、キト市に在るメトロポリタン公園に設置されて居る私の作品を最近訪ねたと言う写真を送って下さいました。13年前の作品は一部の破損も無くきちんと管理されて居る様子、懐かしく写真を拝見、当時の事を思い出されます。作品を置く場所は各作家と意見を交換しながら作品設置位置を決めて、それからの各自の作品の制作開始、制作日程が1ケ月と決まっているので、私の場合、現場で方位やアンデス山脈、自然環境を見ながらの図面描き、そして、作品の制作作業員との打ち合わせ、それに伴う基礎工事等、緊張の毎日、それでも土日はおやすみ、乗馬も誘って頂いたり、キトは赤道直下、アンデス山脈の中腹で、朝夕は涼しいですが日中は暑く、標高2800メートルと言われて居ますから。ワイン好きのいやアルコール好きの作家の一人がパリのペースで飲み、アルコールの抜けないまま制作作業監視中、酸欠で倒れ救急車で病院送りも、治安が悪く、案内役が居ないと一人ではなかなか遊びに出れない街(一人で早朝に散歩する勇気在る作家も居ましたが)、制作現場が別れているので小グループでの行動、現場担当責任者(基礎工事&建築家)と通訳(フランス語、英語)、案内役&運転手と車付きで、2週間過ぎた頃には作業も在る程度見えて来て、作家の我々も安心、緊張もとけて、時には名所旧跡の旅も出来、毎晩の様に、仏料理かスペイン料理、晩餐会も遅く迄、ラテンの音楽と踊り、楽しい想い出一杯の31日間のキトの滞在を思い出しました。

日下の修ちゃんより、メールが届いています。

明けましておめでとうございます
昨年は大変ご苦労さまでした。
ボンテザール橋も綺麗になり、達先生が制作されたあの時の
輝きが色が蘇りました。よかったです。
 
さて、昨年12月21日娘がロンドンにフライトしたときに、大雪のため
ロンドンに降りられず、やむなくパリに着陸して2日間足止めされたそうです。
エッフェル塔近くのホテルに宿泊し、雪の中エッフェル塔の下まで見に行って
写メールを送ってくれました。夜の暗闇に浮かび上がってきれいでした。
達先生がまだ戻られなかったので、ご連絡しませんでした。
 
今のところパリ便の搭乗の予定はないそうです。
こちらは穏やかな雪のないお正月です。今朝も薬局の寿彦様と道路で
立ち話を15分ほどしました。お元気そうです。ではまた。
 
       日下 修
 
 〖 日下さんのお嬢さんは、昔々、小学生の頃、夏休みに年1回、サトル後援会で主催していた 子供の為の
サトル絵画教室 に参加して、賞を頂いている方ですが、もう大学を卒業され、今は空の旅を快適に補佐する
華のスチャーデス。私は、23日にはパリに居たのですが、連絡不足で会えなかったのが残念でした。 〗

友人の菊池御夫妻より、年賀が届きました。

自宅のPCに佐藤さんのメルアドが入っていなくて、
本日出社しましたので、遅ればせながら年賀状をお送りします。

異常気象、投機マネー、ナショナリズム高揚など
なにやら変な世の中になってきましたが、
振り回されずに自分の道を歩いていきます。

今年も良い年でありますように!!



菊池 巨 & 由加里










〖 菊池さんはパリや東京の招待展でお会いしている画家、お勤めしながら地道に人知れず、確実に作品を制作、発表している幾何学構成アートの仲間の一人です〗

2011年1月1日土曜日

Bonne Année / Happy New Year / 賀 正 2011年

新年あけましておめでとうございます。今年の干支はウサギでございます。多いにフットワークよろしく世界を飛び廻り、皆様と共に飛躍する事を祈っています。さてさて紹介が遅く成りましたが、〖 佐藤達の独り言 〗のブログは12月から始めました。最初は清水一生君にお願いしてVASP社のHPを作って頂いた時にブログの欄を(6、7年前)、その後、Satoru Sato Art Museum のPHを及川幾雄さんに立ち上げて頂いた時(3年前)、ブログを再度作って頂き、幾雄さんには、一生君の時と同じ様に私が原稿と写真を送信するだけで後はそちら任せでブログに掲載して頂いていましたが(多忙な幾雄さんに迷惑をかけているのが気になっていました)、個人的な事を書いて居るブログはミュージアムと切り離してリンクした方が後々問題も無いのではと優しく忠告して下さったのがココムの男澤さん。〖佐藤先輩がご自分で簡単に出来るブログが在ります〗からと背中を押されて何でも挑戦、興味は在るので恐る恐る昨年の12月から開始しました。担当の佐藤さんの指示に従って学習、未だ写真を自由に校正入力出来ませんが、只、掲載するのは1枚2枚なら簡単な様子楽しんでいます。
さて、新年を迎え、心機一転、政治も経済も教育も社会福祉もアートも、国際社会の力関係も総て生き物でございますから、時の流れは此れ迄と違うスピードで変化して居る中、危機感を感じ現状を見極めて、新たな夢を真剣に語り合い、構築する時が来ているのではと思います。フランスと日本の歴史、文化の違いを意識しながら、国力、国益、日本を語る時、アジアが在り世界が在る国際社会の中で日本がどんな位置に在るのか置かれているのか、箱根駅伝、大学ラクビー、全国高校ラクビーをインターネットで見ながら改めて考えてみたいとおもいます。未だ未だ厳しい寒さが続きそうなパリから、皆さんと共に良い年にしたいと願っています。